2010年2月27日

ペーパークラフト

この前、通天閣に行きました。入場するときに頂いたカタログの中にペーパークラフトが付いていたので作ってみました。
















意外に難しく、制作に1時間以上かかりました。でも、家でもう一度「通天閣」を体感できるっていいもんですね。しかも紙だけでできるなんて最高だなぁ。。

もひとつ、とあるイベントでいただいた「立体はがき」。こちらも以前行った、生駒時計店を立体的にしたもの。とても、素晴らしいペーパークラフトです(^^
















他にもいろんな種類があるので、挑戦してみたいところ。
(参考サイト:おしとの立体絵はがき

唐突ですけど、皆さん治具(jig)って知ってますか?


















「ばね屋」の現場で使う工具。これ、職人が自分自身に合ったものとして作ります。

例えば、鋼線・ピアノ線・スチール線といった"線材"を加工(曲げたり、絞り込んだり、伸ばしたり)するときに用いるもの。


















いろんな形の"はさみ"のような治具。自分自身で作ると言っても、普段の仕事の中で、ここでこの治具が欲しい!ってのをイメージするのってなかなか難しいことです。

日常の中で、自分仕様の"はさみ"を作るのってなかなかイメージ出来ないのと同様に、治具を作り上げるには、経験が必要になります。この点は、どんな職種の"職人"も同じですよね?
ただ、何事も「見て覚えろ」の世界。自分のモノにするのは、ほんまに難しいことです。

そもそも、何が"もの作り"かって答えがないわけで…(悩)ものを作る上で、教える・伝える・理解するってのは、なかなか簡単にはいかないですね。。。

先週、とある工作教室に助手として参加してきました。親子向け(小学校高学年レベル)教室で、最終的に作り上げるものは「ワニのからくりロボット」


















材料は用意してありますが、作り上げるものは個々のデザイン。
・牛乳パックによる本体
・竹ぐし、スポンジタイヤ
・モーター、スイッチ
・ハトメ
・プーリー(車輪)、輪ゴム
などを用いる。

仕上がりは、ワニのギザギザした口をパクパクさせるからくり。そして、躯体を前進させる仕様にもなっています。


















持ち時間は3時間ですが、あっという間に過ぎてしまいました。

事前の打ち合わせで、今回はデザインに差の出る箇所が少ないだろうと予想していましたが、子供たちのアイデアは柔軟でひとりひとり独創的な仕上がりに。素晴らしい!


















大人が手を抜けば簡単に見抜いてしまう子供たち、親御さんも自分も真剣でした。それだけにとても充実した時間となりました。


















この教室の先生曰く、一回や二回では子供たちの才能を引き出せない。だからと言って、マニュアルに沿って作り上げるようなものは意味がないし、自分で考える力を小さい時から養えるように導かなければいけない。

そして、教えたことが今の子供たちが大きくなったときに次に学びに来る子供たちに伝承される。6年や7年なんてあっという間のことだとも教えていただきました。

大人である自分の胸に深く突き刺さる教示。
今、何かを教えられること、誰かから伝えてもらうこと、色々な経験か理解することは自分たちを通して確実に次の世代に伝わって行く。。。

だから、毎日を大切に生きて行こうなんて話しをキレイにまとめるつもりはないですが…。"もの作り"の本当の意味はこのあたりに答えがあるのかなと思いました。

それにしても、ペーパークラフトは単純そうで深いですね。色んなことを考えさせられました(^^

2010年2月22日

梅田展望階めぐり

昨日はとても良い天気でした。

梅田には展望フロアを持つ建物が東西にあります。
・ブリーゼタワー http://breeze-breeze.jp/
・駅前第3ビル http://www.toshohouse.co.jp/oes/eb3_01.html
・阪急グランドビル(32番街) http://hankyu32.hankyu.co.jp/top.html
・阪急17番街 http://www.hankyu17.com/
・ヨドバシカメラ(8階の窓) http://www.yodobashi-umeda.com/
・アクティ大阪(大丸梅田) http://www.acty-osaka.co.jp/
(*参考:ゴリモンな日々 http://gorimon.com/blog/



より大きな地図で 梅田展望階めぐり を表示
JR大阪駅7番ホームをスタートして反時計回りに6カ所の展望フロアを観て回りました。
・15時~17時30分までの約2時間半
・総歩行距離約3km、手持ちの歩数計で約8,500歩

ターゲットは、「大阪駅」「丸ビル」「HEP FIVE(観覧車)」といったあたり。
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見上げると雲一つない快晴。飛行機雲がほんまに良い感じ。
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月も見えてました~(駅前第4ビルへの写り込み)
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大阪駅の新しい駅舎が完成すれば、歩行者ルートが駅の上を跨ぐようになる模様…。北ヤードが完成すれば、今の梅田をひと回りもふた回りも大きくした街になることでしょう。。。

ただ単に歩行者の動線を変えるだけでなく、他の地域や国から訪れる人たちにとって魅力溢れる街になれば素晴らしいことだと思います。

そのためにはもう少しインパクトのあるランドマークがあっても良いかも知れないですね…。

スライドショー(大きい画面は⇒こちら

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"これぞ梅田"ってのを訪れた人に勧めるなら何やろか…?

色々と考えながらの散歩は、とても良い息抜きとなりました~(^^

2010年2月21日

梅田阪急旧館の空

関西に縁のある方なら何かしらの思い出がある梅田阪急本店。

新館がスタートしたのは去年の9月2日。それからもう5カ月が過ぎます。

新館が動き出すのと同時にJR大阪駅から阪急梅田駅を結ぶ通路も道をふさがれました。今年に入ってからは、梅田阪急旧館前の地下通路・歩道ルート切り替えの多さと道幅の狭さにびっくりします。

阪急梅田駅からホワイティまでの道はほんまに歩きにくいですね。何とかして欲しい。都会の真ん中での大工事、仕方ないですかね。。。

今日は、写真整理も兼ねてここ半年の様子をまとめてみました~























昔のアルバムから。ばね屋的には左上に見えてる屋上の街灯が萌えます。

皆さんはどうでしょうか…?

















去年9月1週の写真。30年以上過ぎてもあんまり変わってないことに気づきます。なつかしの西宮球場…スタジアムはなくなったので看板は下げられています。

















梅田阪急新館がスタートして間もなく…時計の灯が消えてしまっています。。。


















10月の空。ぽつんとある屋上の街灯がええ感じ~。

















11月末には足場が組まれ、街灯はもう見えなくなりました。。。

年末年始は、真っ白なシートに覆われてしまいました。

















先週の様子。解体は早い。これまで見えなかったグランドビルの姿がはっきりと見えます。HEPFIVEの赤い大観覧車まで見えるとは…。

















グランドビルの17階から見下ろしてみました。
工事の進捗具合にびっくりしました。
半年前まではここにたくさんの人が出入りしたとは思えないような光景。
写真右側の高架を歩く人たちの動線が何とも滑稽に思えます。。。


スライドショー(大きい画面は⇒こちら

阪急旧館の変遷はjusojin(新之介)さんのブログが詳しいです。
さよなら阪急百貨店旧館(090916)
また逢う日まで…阪急旧館(090922)
阪急百貨店解体中(100130)

どこに行ったかわからなくなった屋上の街灯。。。
思い出灯す新しい街灯がまたできると良いなと思います。

2010年2月18日

日本橋ストリートフェスタ2010

日本のモノづくりは、先進国の製品を真似(模倣)して新たな機能性を加えることで商品価値を高めることが得意でした。しかし、それも転換期に差し掛かっているといった議論があちこちで聞かれます。

そもそもが真似することが得意なのではなく、モノづくりの創造性に富んでいたはず…。大阪日本橋で参加させていただいている勉強会でもそう言った議論がなされています。。。
















日本橋4丁目からの夜景

電化製品を一つ取っても機能性や利便性に加えて価格ばかりに着目され、ユーザが求める価値観が明らかに変わってきたました。

ラジオやアンプなど音楽を聴くオーディオなんかは、お店で売っている製品よりも自分で部材をそろえて作り上げた方が、好みの音を楽しめた。
そして、それを求めて遠方から多数のお客さんが訪れてきた日本橋ですが、今の客層はパソコンなどの処理速度をどうやって上げるか?いかにして使用できるアプリケーションの環境を良くするか?といったあたりを中心に着目する客層が増えています。

部品や部材を求めた昔とキットやパーツを求める今とは近いようで遠い感覚。。。かつては日本橋でしか得ることのできない情報があった。そして、それを求めるお客さんが実際に足を運ぶことで街の魅力が膨れ上がった。

インターネットからの購入や隣接地の競合も激しく、かつてのお客さんが求めるものとは違うカタチになった日本橋もどうやって生き残るか…といった議論が深まりつつあります。

「人に動きがあることで、街そのものを"デザイン"できた時代」

去年、開館15周年を迎えた天保山サントリーミュージアムも今年の年末に休館が決まりました。この建築を手懸けた安藤忠雄さんも人の動きを作ることがホントに難しい時代になったおっしゃっています。。。
















サントリーミュージアムからの夕景

小さい頃にお年玉握りしめてワクワクして歩いた日本橋。。。
その頃の良い感覚と比較してしまうためか、今の日本橋を歩くのが少し苦手なばね屋です。

同じ価値観を共有することは無論無理な訳ですが、次代の人たちにもワクワクするような日本橋であれば素晴らしいことだと思います。

おととい、3月21日(春分の日)に第6回日本橋ストリートフェスタ2010の開催内容が正式リリースされました。

日本橋商店街の協力で制作された『通天閣ロボ』も動き出すとか(^^
是非とも日本橋の魅力溢れる一日になって欲しいものです。

昨日は、日本橋から通天閣までぶら歩きしました。
通天閣の観光客数は年々増加傾向にあるとか…素晴らしい!


















通天閣からの夕景(撮影2009.10 西側)

小さい頃、日本橋は行けても通天閣は近寄れなかったなぁ。
色々怖くて(笑)
大人になったいま、展望階から眺める大阪の景色はほんまに素晴らしいもんです。


スライドショー(大きい画面は⇒こちら


より大きな地図で 日本橋~通天閣 を表示

2010年2月15日

白雪蔵まつり

今日は、毎年この時期に行われている伊丹の白雪(清酒)蔵まつりに行ってきました。今年で14回目ということですが、初めてです。。。


白雪(小西酒造)は創業450年にもなる造り酒屋です。
















かつて伊丹は清酒の発祥地として大いに栄えました。その後、ビール業界の発展などにおされて日本酒の製造量が落ち込みました。その中で、伊丹で唯一(と言って過言ではありませんが…)白雪が造り酒屋として栄えてきました。
















白雪の本社、隣の長寿蔵、さらに実際に酒造りを行っている富士山蔵を見てきました

蔵見学は予約制で満員状態。。。どうしても見てみたい思いがあったので、最後の回にキャンセル待ちをしてみたら見事に見学可となりました。

めっちゃ、ラッキー!
















阪神間の造り酒屋では「山田錦」という米を使って酒を造るところをよく見掛けます。清酒をつくる際、米の芯の部分を使います。このとき、まわり(玄米)の部分を削り取ります。残った(白米)部分にお酒を美味しくつくるエキスが含まれている訳ですが、特に美味しいのが山田錦と言うお米ってことです。

あらためて簡単に、、、『日本酒』とは?
・米から造られたお酒(清酒)
・米の主成分(デンプン)を麹(こうじ)の作用で糖に換える
・上記の糖をアルコールに変えることで日本酒が出来上がる
















精米歩合なんて標記がありますが、これは白米の玄米に対する重量の割合で、例えば精米歩合60%の場合は、玄米の表層部分を40%削ることになります。これが、お酒の質を大きく決める要因にもなります。山田錦は、この芯(60%)の部分がお酒を作る上で優れているお米と言う訳ですね。

お酒のラベルによく見かける、
「吟醸酒・純米吟醸酒」は、精米歩合60%以下
「大吟醸酒・純米大吟醸酒」は、50%以下
















通常、お酒は火を通しての出荷になりますが、"生酒"や"しぼりたて"っていうのは火を通しての出荷にはなりません。色々ありますが、お酒の好みは人それぞれ。
何がおいしいか専門的な事はばね屋にも分かりません。。。

という訳で、今日の様子をスライドショーから簡単に紹介です。

大きい画面は⇒こちら

品質の管理はハイテク化されても、工程はまだまだ手作業のようです。
職人に支えられた日本のわびさびに萌えた一日でした。


より大きな地図で 白雪蔵開き を表示
阪急伊丹駅から東へ歩いて5分程度の所に小西酒造(白雪)はあります

2010年2月14日

手塚治虫没後21年 トーク&コンサート

漫画家の手塚治虫先生は、昭和3年11月3日に大阪府豊中市で誕生。2歳~5歳まで、豊中市南桜塚で育ったそうです。

2月9日が手塚治虫先生の命日。13日に南桜塚にある銭湯・延命湯(昭和5年創業)で手塚ソングコンサートが開催されました。

阪急岡町駅に集合し、延命湯に行く前に手塚治虫先生ゆかりの地をぶらり。
参加者で昼食をご一緒してからの移動となりました。















手塚先生もきっと来たであろう延命湯に着きました。
延命湯の雰囲気

プログラムは、下記の通り。
1.挨拶
2.せろりあん 「鉄腕アトム」「リボンの騎士」「海のトリトン」「ミクロイドS」「ワンサくん」
3.安斎レオ  トークショー「手塚治虫世界の冒険」
4.のっち   「あの日君はたった一人で」他
5.芽亜利・J 「リボンのマーチ」「ふしぎなメルモ」「夢の幼虫」「STORY」
6.全員合唱  「鉄腕アトム」(伴奏:芽亜利・J )
















セロリアンさんがアニメソングを歌っている横で、ライブペイントアーティストの宇治茶さんが絵を描き始めました















下地、出来上がる















安斎レオさんのコレクション話し。ブラックジャック直筆!
















ジャングル大帝のセル画
















アトムのフィギュアも見守っています
















のっちさんの熱唱。宇治茶さんの頭がちょこっとだけ見えています
















最後は芽亜利・Jさん伴奏と参加者による「鉄腕アトム」
















絵も無事出来上がりました。すばらしい!





















seemoさんの動画


街外れの静かな場所にある銭湯でこんなに盛り上がるとは想像もしていなかったです。大満足で帰路につきました。

参加された方、お疲れさまでした~。

2010年2月13日

浪花百景

大阪大学の"21世紀の懐徳堂プロジェクト" 月刊島民 ナカノシマ大学
2月講座「謎解き!?浮世絵『浪花百景』を見よ」を拝聴してきました。

講師は、大阪大学総合学術博物館 橋爪節也教授でした。
いつもながら軽快なトークで面白かったです。

江戸初期から後期に差し掛かるまでのお話し。
下記はメモ程度の内容です。。。

『浪花百景』は、安政年間(1854~1860)に出版。企画者は大坂「石和せきわ」、作者は一珠斎国員、一養斎芳瀧、南粋亭芳雪という三人の錦絵にしきえ作者たち。三人でそれぞれ国員40枚、芳瀧31枚、芳雪は29枚を書いていますが、これは分担しないと大変だったのが一番の理由だそうです。
(参考ページ⇒こちら

浮世絵と錦絵って微妙に違うそうです。
浮世絵:当世の風俗を描写、錦絵:多色刷り木版画

『浪花百景』は、元に書かれた「摂津名所図会」を中心に浮世絵として書き直されたもので、今でいう"トリミング"したものに風景や季節の特徴を加筆したものとなっているそうです。

「摂津名所図会」:
五畿内の名所図会の一つとして寛政八年(1796)から十年(1798)にかけて刊行された。絵は、竹原春朝斎、丹羽桃渓ら八名の画家が手がけている。

摂津名所図会の参考ページ(⇒こちら)にある絵を切り抜き、浮世絵(錦絵)として描いた訳です。

名所図会(wikipediaより):
名所図会に先立つ類似物として名所記と呼ばれる刊行物があるが、名所記が文芸的・物語的な叙述に特徴があるのに対し、名所図会は事物の来歴などを客観的に記す点に特徴がある。名所記に比べて挿絵の比重が高く、浮画の影響もあってか鳥瞰図風の写生画をしばしば用いる。名所図会の挿絵は、地理的説明の機能を果たすだけでなく、鑑賞用途にも堪えるものである。また、編集においても、地域別・方面別の構成を取るなどの工夫が見られ、近世における巡礼の盛行による需要に応じて、名所案内としての実用性を備えている。

『浪花百景』はこちらから購入できるそうです(下から8段目)
http://www.osakacastle.net/pablication/exhibition.html

また、大阪府立中央図書館のデータベースから「錦絵にみる大阪の風景」として閲覧可能です。(⇒こちら

2010年2月11日

北船場近代建築内部見学ツアー(7)

いよいよこの近代建築ツアーも終わりが近づきました。

淀屋橋での解散を見込んで、駅の隣にある「石原時計店」を案内いただきました。昭和14年の建築だそうです。

ビルの一階に時計店があり、その横にある老舗のMJB珈琲店(創業64年)も人気があって有名だそうです。ここもいつか入ってみたいお店です。。。

石原ビルの建築は三橋四郎氏。明治から大正期に活躍し、鉄筋コンクリート工法の考案者として有名だそうです。















































石原時計店自体は1846年が創業で、心斎橋の近く南久宝寺町が出だそうです。その後心斎橋南詰に移転し、更にその後この淀屋橋へ移転したらしく歴史深い時計店のようですね。。。と、ネットで調べてたら…参考にしたページをご案内して下さったのりみさんが書かれていました(^^;































中にちょっこり入ってみました。外からは分からないですが、入ってみると昔からの造りを感じさせる証明とエレベータが存在感たっぷりです。































階段やタイル張りが歴史を感じさせます。最後まで近代建築の歴史を堪能して、ここで解散となりました。
スライドショーは⇒こちら

この後、カオスさんseemoさん達と大阪倶楽部を少し覗きに行きました。
スライドショー⇒こちら(写真は以前行った時の分も含まれています)

残ったメンバーで梅田に出て「大阪屋」でお疲れの一杯をかわし、楽しく食事して解散となりました。



































いやぁホントに楽しいツアーでした。企画して下さったのりみさん、参加者の方ありがとうございました~(^^


スライドショー(⇒まとめ


より大きな地図で 北船場近代建築内部見学ツアー を表示
今回の歩きツアー地図(1.5km)

2010年2月10日

北船場近代建築内部見学ツアー(6)

御堂筋に近づきながら「芝川ビル」へ来ました。

昭和2(1927)年、南米マヤ・インカの装飾による建設。

HPから引用すれば、
芝川ビルを建てた芝川又四郎は、かねてから店を不燃性の建物に建替えたいと思っていました。そんな折、大阪倶楽部において建築家の片岡安のスピーチを聞き、鉄筋コンクリートが耐震・耐火性に優れていることを知り、鉄筋コンクリートへの建て替えを決意したと言います。こうして建設された芝川ビルは、耐震・耐火性に細心の注意が払われており、その意気込みは、現在も建物の随所に見ることができます。(ここまで)

大阪倶楽部片岡安(中央公会堂など設計)とやはり近代建築と深く関わりのある名が出てきます。
芝川家は、元々欧米品の輸入業で栄えたそうです。その後は、不動産業中心となっているようです。
































実際に、芝川ビルに入ると1階のスイーツ屋さんは大人気のようでした。
テナント標記を見ると3階に㈱百又――の字が。。。

そう言えば、梅田に百又ビルってのがありましたね。テナントに三番街シネマが入ってました。個人的にかなり思い出深い訳ですが、いまはもう映画館もありませんし、大幅に改修されました。持主は百又(芝川家)のままなんでしょうか…

さて、階段を上って屋上へ。
















ガイド、のりみさんの解説と資料
















いま、屋上部分を増築し直していますが、施行当初に昔の設計図はなかった。施行してから図面が出てきたそうですが、ほぼデザインに違いがなかったそうです。
















一度、増床・増築でコンクリを打ち込んだことがあるそうです。
その後、建物の保全などからコンクリをハツって元に戻したとのこと。
その理由は帰り間際に判明、写真の色からコンクリが分かります。

ここも実業家たちの社交場だったんでしょうね。
セレブになった気分でこのひと時を楽しみました。




































降りる間際にトイレのタイルについて。
芝川家はここ大阪伏見から兵庫西宮の甲東園へ本拠地を移したことがあったそうです。この新館を設計した建築家が関西建築界の父と言われる武田五一。すばらしい建築物でしたが、残念ながら阪神大震災で大被害を受け解体となってしまった。。。その時に残された様々なタイルをここ芝川ビルへ移設しているということでした。

いろんな形で歴史や文化を保全しているんですね。
素晴らしいことだと思いました(^^


スライドショー(大きい画面は⇒こちら