2010年6月27日

新世界

行ってきました、『新世界』へ!

主な目的は近代建築見学ですよ~(^^

位置図

より大きな地図で 新世界 を表示

まずは、「オープン!アーキテクチャ(open! architecture)」主催の日本橋『高島屋東別館』を見学してきました。こちらは、『~建物それぞれの「誇り」を、まち全体で見直す機会をお届けします。』がコンセプト。素晴らしい企画とともに丁寧に現地のご案内をいただきました。
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見学の様子は、Luisさんのエントリが詳しいですよ。
(参考;大阪市の北区をグルグル巡るブログ『日本橋の高島屋東別館を見学! 歴史秘話満載&アールデコの装飾が美しすぎる近代建築の傑作に酔う☆』2010.06.14 )

日本橋から通天閣までの道は、とても好きな道。大阪を歩いてまっせ~♪てな気分で最高です。(以前のエントリは⇒こちら

小さい頃は大人しか行っちゃダメだと思っていた『新世界』
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この日は、ワクワクしながら「新世界市場~ジャンジャン横町~動物園前商店街」をぶらり。商店街に展示してあった昔の写真が隆盛を感じさます。
スライドショー(大きい画面は⇒こちら

歩いていてると道端で村田秀雄の「王将」を弾き語るおっちゃんが数人…情緒あふれます

~ うまれ浪花の 八百八橋
月も知ってる 俺らの意気地 ~♪♪

ええですなぁ…ほんまに

そして翌日、行ってきました『鯛よし 百番』へ!
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(以下、引用...)
難波新地乙部遊郭が1910年に全焼したのを受けて、1916年に飛田遊郭が生まれました。1912年に完成した旧通天閣を中心とした新世界は、第1次大戦後の好景気で大いににぎわいます。新世界からほど近い飛田遊郭も昭和初期には200軒を越える妓楼が軒を連ねます。
戦災でほとんどの店は消失しましたが、再び赤線としてよみがえり、1958年の売春防止法以後は料亭に転じたことで、現在もなお、伝統的雰囲気を色濃く残す街並みとその営みが保たれています。
鯛よし百番は大正初期に遊郭として生まれ、戦後は内部が大改装されて、持ち主も替わり、現在では(本物の)料亭として営業しています。なお、写真撮影は2003年4月です。(参考;鯛よし百番と飛田新地

見学に参加されるメンバーも揃って、一番の見せ場「桃山殿」(紫苑殿、鳳凰、牡丹からなる3間続きの大広間) でお鍋をいただきつつ、建物内の見学を堪能してきました。

橋を渡ると羽目を外しても良いとか…
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行きつくところまで行きつきました(笑

スライドショー(大きい画面は⇒こちら

かなり濃い街歩き。たくさんの方たちとも交流できて楽しかったです~♪
みなさんありがとうございました!

あぁ…まんぷく、まんぷく~(^^)ノ

2010年6月17日

尼崎運河クルージング

"♪ 大阪の海は、悲しい色やね~ 
さよならをみんな、ここに捨てに、来るから~♪"

上田正樹の『悲しい色やね』に出てくる大阪の海、実は尼崎の海だった。

大阪梅田、阪急グランドビル31F(過去エントリ⇒こちら)から
神戸に沈む夕日
変わった形の煙突は、舞洲スラッジセンター。当然ですが、この西側に尼崎港があります。実際に、尼崎港からも舞洲スラッジセンターが見えました!
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てな訳で…行ってきました~。尼崎運河クルージング

主催は"あまけん" 尼崎公害訴訟の和解金の一部を活用し開設

尼崎は、どうしても公害の街のイメージが拭えませんが、過去を遡れば平安~江戸時代に掛けて築き上げた都市

尼崎は、いわば昔の首都圏たる近畿の西の玄関口であり、もともと山陽道・畿内の結節点としての非常に重要な位置にある都市である。そのため、平安期には、神崎・浜崎・今福・杭瀬、中世期には大物などの港が重要となり、そして近世には、大阪防衛の要として元和の戸田氏鉄の尼崎築城がおこなわれた。ところが近代になり、阪神工業地帯の要の一つとして大発展したため、工業都市の地層がさらに覆い被さっており、現在の都市イメージとしては後者の方が強い。しかし、実際は、重層的な歴史をもった万華鏡のような多面的都市なのである(引用:南部再生

「実際は、重層的な歴史をもった万華鏡のような多面的都市」

地図からもその様子がうかがえます(今回のルート)

より大きな地図で 尼崎運河クルージング を表示

"五合橋"に注目。宝塚・伊丹・尼崎をつなぐ幹線道路。むかしこの橋の近くで働いていた者の給与が、米で五合支払われたことが由縁だとか…

徐々に昔の地図へ(写真:クリックで拡大)

戦後の昭和31年。橋の南側は住友金属工業で今と変わらない


大正15年。橋から阪神尼崎駅付近にかけて近代産業の発展がうかがえる


明治44年。阪神電車が出来て間もないころ。橋の南には醤油会社が、尼崎はかつて醤油生産で潤ったそうです


※ 写真は文化財探検マップ(尼崎2010年版)から

江戸時代 橋の周辺も城下町として整備された。このころの海は今の中心地からかなり近いようだ



今回のクルージングでは内陸側は五合橋が見えるところで折り返し
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最も南側は既述の舞洲スラッジセンターが見えたところ。この西側にはパナソニックのプラズマディスプレイ工場が見えます
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スライドショー(大きい画面は⇒こちら←おススメ!☆☆☆)


街中の中央商店街もぶらり
スライドショー(大きい画面は⇒こちら


まさしく『万華鏡のような多面的都市』

まだまだ"ディープ尼崎"の底は見えてません。
今後も街歩きを続けたいですね。楽しみです~♪

過去エントリ:尼崎寺町⇒こちら

2010年6月10日

阪神甲子園球場

阪神甲子園球場のライトスタンド

ジェット風船の応援はいつ見ても圧巻だ
















アルバムから昔の写真が出てきた
















(写真はクリックすると拡大されます)

ナイターの照明設備も今はアルプススタンドを覆う屋根「銀傘」の上からグラウンドを照らしますが、当時はそういった設備が無かったようですね

どうやら、高校野球で試合後の挨拶を選手たちが行っている様子。それを見守る観客が、フェンスをよじ登っているのが時代を感じさせます(^^

今は無き、「ラッキーゾーン」とライトの芝のハゲ具合もなんだかいい感じだなぁ~♪観客の侵入を防ぐ鉄条網が少し乱雑で今では考えられません


この頃の球場の様子をネット検索してみると、バックネットからスコアボード側は選手名や点数はプレートで経過通知しています

今年から開設された歴史館でも展示している
















小さい頃の思い出

正直なところ記憶にはないわけですが、こうやって写真一枚出てくることで色んなものが繋がってきますね

たまに見る"昔のアルバム"とても感慨深いものがあります。みなさんもいかがでしょうか~(^^

歴史館のスライドショー(大きい画面は⇒こちら


最近のクリップ⇒こちら

位置図

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